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京橋
2026年3月14日(土) - 5月9日(土)
11:00 - 19:00 日・月・祝日休廊
1996年大阪府に生まれ、現在は東京を拠点に活動する斉藤七海。陶土に害獣駆除用の金網を絡ませて焼成する手法をはじめ、「自然/人工物/自己の身体を行き来する」感覚を手がかりに、それらの距離感や関係性を扱う陶芸作品を発表してきました。彼女の作品制作は、国内のみならず海外にまで広がる広大なフィールドワークによって支えられています。大樹林を育む屋久島、英国のストーンサークル、あるいはバリ島の宗教儀式など、聖地をめぐる文化人類学的な関心から着想を得た制作は、近年、釉薬の表現や作品の形状に有機的な特徴を帯びるなど、表現の幅を広げています。本展では、青森県・恐山に赴いたフィールドワークの観察結果とともに、関西から関東へと生活の拠点を移し、およそ二年の月日を共に過ごした「レモンの木」を中核となるモチーフに据え、作家のよりパーソナルな体験を原資とする新作群を発表します。
セラミックで制作された無数のレモンが、展示空間の床に配置されています。黄色い果実の配置部分には、鉢に入ったブロンズ製のレモンの木が置かれているのが見えます。作家にとってレモンは、日々を共に暮らし、やがて枯れてしまったという具体的な喪失体験を起点に、梶井基次郎の『檸檬』に描かれる感情の揺れや、果実を口にしたときの酸味が呼び起こす身体的な感覚など、いくつもの層を重ね持つモチーフです。ときに垂直に積まれ、ときに無造作な山を形成してみえる床置きのレモンは、賽の河原の説話とともに、恐山で見られる水子供養のための石を積む行為を連想させます。斉藤は、信仰を繰り返される行為の集積として捉え、人が生み出す行為の構造そのものに聖性が宿るのではないかと考えています。木に水をやり、実がなって食べ、また次の実がなる - そうした日常の循環は、反復されたジェスチュアによって立ち上がる信仰のかたちと重ねて捉えられます。その感覚は、同じレモンの石膏型から何度も同じかたちを生み出していく制作プロセスとも響き合い、そこには彼女にとって重要な観点のひとつである「身体性」というキーワードもまた重なってみえます。
自身の身体のパーツをモチーフに制作を始めたのは、屋久島での大樹林の観察がきっかけでした。樹木と自身の身体の「間」(はざま)への着想を得た屋久島から、水をやり、さらにその実から養われ、共に生きたレモンの木との時間を経て、生の循環の只中にいる自身についての洞察を深めた作家は、本展でも腹部や臀部といった身体のパーツをなぞる数点の陶器を発表します。
本展において斉藤は、より私的な領域とフィールドワークの成果を絡め、初めての試みであるブロンズ、そして石膏型を用いてレモンの陶芸作品を複製する制作に取り組みました。人工と自然の境界を行き来するというコンセプトのもと制作を重ねてきたその実践は、儀式や信仰といった重要な主題を再編しつつ、新たな探究の段階へと歩みを進めています。自然と人間の営みが交わる聖地や、信仰と身体性、人間と非人間の共存をめぐる哲学によって支えられた斉藤七海の取り組みと、その実践の成果にぜひご注目ください。
2年前、都内の新居に引っ越すと同時にレモンの苗木を迎え入れ、約2年間を共に過ごしました。実を食べたり、近所の公園で見つけたてんとう虫のさなぎを羽化させてアブラムシから守ったり、ささやかな時間を重ねていました。しかし昨年、海外や地方への滞在が続くなかでレモンは枯れてしまいました。
その出来事は思いのほか大きな喪失となり、心身の疲れや悲しい出来事とも重なって、しばらく何も手につかない日々が続きました。
本展では、この個人的な経験と、青森の恐山でのフィールドワーク、信仰や聖地に関するリサーチを交差させながら、「死をどのように弔うのか」「信仰や聖地とは何か」を改めて考えています。
レモンの型を取り、粘土で少しずつレモンを作り続ける工程は、かつて毎日水やりをしていた時間をなぞるようでもありました。レモンはこの展覧会のシンボルであると同時に、私にとって具体的な存在でもあります。
レモンの酸味がもたらす、さっぱりとした後味のような身体感覚もまた、本作をかたちづくる要素のひとつです。
すべての嫌なことと、グッバイ!
Good bye, Lemon, 2026